Adjust、Braze、MOLOCOによるモバイルアプリマーター向けコミュニティイベント「MOBILE STARS Summer 2025」が、2025年8月20日に開催されました。
第1部では、『いちばんやさしいアプリマーケティングの教本』の著者としても知られる HARS Global Pte. Ltd. CEO 森下明氏が登壇し、「アプリマーケティングにおけるKPI再設計」をテーマに講演。
第2部では、旅行予約アプリ『NEWT』のマーケティングUnitマネージャー 安藤希倫氏と、『ファンタスピーク』をはじめ英語学習サービスを展開する株式会社アルク デジタルグループリーダー 畔上剛氏を迎え、「アプリを活用した顧客との関係性を育てる顧客体験のつくり方」が語られました。
当日は多くのアプリマーケターが参加し、実務に直結する知見やヒントに熱心に耳を傾けていました。本記事では、第1部の模様をレポートでお届けします。
アプリマーケター必読、KPI設計をどう再考する?MOBILE STARS 2025 Summer 森下氏セッションレポート
【特別企画】森下さんと考える、アプリマーケティングにおけるKPI再設計
カスタマージャーニーとは、ユーザーが商品やサービスを認知し、関心を持ち、購入・利用・継続・離脱に至るまでの一連の体験や行動を「旅」に見立てて可視化するマーケティング概念です。各フェーズにおける接点や課題、感情の変化を整理することで、より適切な接客や導線設計を行うための思考ツールとされています。
AIによる自動最適化が進む現在、あらためて人がジャーニーに向き合う意味を問い直す本セッションでは、ユーザー理解に基づいた設計、現場でのモニタリング、柔軟な改善プロセスといった実践知が共有されました。
登壇したのは、ゲーム・美容医療・メディアと、異なる業界で活躍する3社。それぞれが描く“最適なカスタマージャーニー”には、業種の枠を超えて応用可能な示唆が詰まっていました。
マーケターのミッションとKPIの関係
「マーケターのミッションは、顧客を理解することを通じて、ある時間軸で売上ないしは利益を最大化すること」と森下氏は定義します。そのミッションに対し、KPI設計と分析が顧客理解のきっかけを与えてくれるのだと説明しました。
重要なのは、KPIは数字で表現されるものの、表層的な数字だけで意思決定するのは非常に難しく、多面的に顧客を理解するという行為が何より重要だという点です。KPI設計は手段であり、目的は常に顧客理解を通じた事業成長にあることを強調しました。
KPI設計ができるために必要なケイパビリティとは
森下氏が推奨するKPI設計ができるために必要なケイパビリティとは、後正武氏の著書「意思決定のための『分析の技術』」から引用した以下の4つです。
- 大きさを考える:問題の大きさや解決による利益のインパクト(オーダーオブマグニチュード)を見定める
- 分けて考える:大きさを適度に分解して考察する
- 比較する:Apple to Appleの条件で適切な比較を行う
- 時間軸で考える:過去から現在、未来への連続性を意識する
例えばソーシャルゲームで「売上の9割を1割のユーザーが作っている」状況において、単純に「インストール数を増やす」施策に走るのは、売上ないし利益を最大化するという観点において本末転倒である可能性が高いということになります。
売上という観点で対象を意味のあるKPIで分け、その対象となるKPIが自社で努力することを通じて改善できるものなのか、向上させることが可能なのかを見定める行為が「大きさを考える」ことなのです。また、「分けて考える」というのも、大きさを適度に分けたうえで考えましょうというものです。
続いて「比較して考える」について。例えば、年間プロモーション費用が1000万円/月の自社アプリを、1億円/月のプロモーション予算を投じている業界トップの競合アプリと比較するケースを挙げました。投資規模が10倍も異なる状況では、それに伴うオーガニックインストール数をはじめとした様々なKPIに差があって当然であり、この比較から得られる示唆は限定的です。
適切な比較を行うためには、自社と同程度の投資規模や市場ポジションなどの条件が近い競合を選ぶ必要があります。自社のKPIに課題がある場合、異常に広告費を投入している大手アプリではなく、自社と同様の投資レベルのアプリとの比較から、改善の方向性を見出すことが重要なのです。
そして「時間軸で考える」について。多くのゲームアプリの場合、大ヒットしない限りリリース直後をピークにDAUが緩やかに下降し、その後下げ止まるかサービス終了するかの分岐点を迎える傾向にあります。過去から現在までのトレンドラインを引いてみると、そのアプリの自然な成長軌道が見えてきます。
この軌道を無視して、未来に非連続な右肩上がりの成長を描く事業計画を立てることは現実的ではありません。時間軸での連続性を意識し、過去のトレンドの延長線上に事業計画があるか、もし、非連続な計画を立てるのであれば、そこに到達するための適切な投資が計画されているかを検証することが重要です。時間軸で考えることで、楽観的すぎる計画や根拠のない目標設定を避け、実現可能性の高いKPI設計が可能になります。
このように、「大きさを考える」、「分けて考える」、「比較する」、「時間軸で考える」の4つの考え方を活用することで、マーケターは売上・利益向上という根本的な課題を体系的に分解できます。「売上向上かコスト削減か」から始まり、「新規ユーザーか既存、休眠ユーザーか」、最終的には「インストール、継続率、ARPPU、課金率」といった分解不可能な変数まで階層構造で整理することが可能です
KPI設計ができるために必要なケイパビリティ(HARS GLOBAL Pte. Ltd.)
競合との比較分析により、自社の課題がマーケティング領域(インストール、リテンション、ROAS等)にあるのか、それともプロダクト領域(継続率、課金率等)にあるのか、或いはハイブリッドな領域なのかを特定できます。
そして、マーケターだけでは解決できない課題が判明した場合は、開発側への具体的な改善要求として繋げることが重要です。4つのフレームワークを駆使して問題の所在と感度を見極め、最適なアクションプランを導き出すことがマーケターの真価なのです。
基本的なKPI設計を終えたその先にすべきこと
KPI設計の価値は、リリース前に複数シナリオを準備し、リリース後の実績との乖離から投資回収の見立てを立てられる点にあります。構造的にブレイクダウンされたKPIにより問題箇所を可視化し、プロデューサーや取締役との議論の出発点を作ることができます。
しかし、基本的なKPI設計を終えた後、最も重要になるのは「可視化したKPIをどう解釈し、アクションに繋げるか」という点です。従来の競合他社のKPI設計だけでは、具体的なアクション創出には限界があります。
例えば「90%の売上を上げるユーザーがこれだけの人数でARPPUはこの水準」という情報だけでは、「その人数をどう増やすか」「どのような購買行動を取っているか」といった施策立案に必要な深い洞察は得られません。表層的なKPI設計のみでアクションを決めると失敗する確率が高いため、より踏み込んだ分析手法が必要になるのです。
課金クラスター分析でアプリの現状を把握する
ここでは具体的な分析手法の1つとして、課金クラスター分析が紹介されました。
課金クラスター分析は、アプリ内のKPIの健康診断みたいなもので、時間軸と課金度合い大きさで分けて、理想の状態に対して今どういう状況なのかということを把握することができます。ユーザーをARPPUの高い順にクラスター分けし、時系列で売上とユーザー数の変化を可視化する手法です。
課金クラスター分析とは(HARS GLOBAL Pte. Ltd.)
この分析により、「クラスターCはユーザー数が多いが課金額は少ない」「クラスターAは人数は少ないが課金額が大きい」といった構造が見えてきます。これにより、大きな方向性として「クラスターAのARPPUを向上させるべきか」「クラスターCをクラスターBに移行する手法はどのようなものか」といった建設的な議論の土台が築けるのです。
このように、課金クラスター分析では、時間軸と大きさの観点でユーザーを分類し、理想状態に対する現状を把握することができます。
しかし、健康診断で異常が発見された際に重要なのは、問題を放置するのではなく適切な処方箋を提示することです。その処方箋の一つとして、UI/UXフロー分析という手法があります。
課金クラスター分析からUI/UXフロー分析へ
課金クラスター分析で問題を特定した後、具体的なアクションに落とし込むには、UI/UXフロー分析が有効です。これは、特定の課金クラスターのユーザーがゲーム内でどのような行動をしているかを詳細に分析する手法です。
例えば、あるIPファンのユーザーがアプリに興味を持ち、インストール後、チュートリアル突破、ミッションクリア、ガチャといった一連の行動を取った後、3週間目以降に課金する場所も追加コンテンツもない状況に直面していることが判明したとします。このようなエンドコンテンツの未充足による課金欠損はよくあるケースです。
UIUXフロー分析とは(HARS GLOBAL Pte. Ltd.)
この場合、中堅~古参ユーザー向けの追加コンテンツとインセンティブの実装が必要だという具体的な改善提案に繋げることができます。
UIUXフロー分析とは2(HARS GLOBAL Pte. Ltd.)
マーケターに求められる素養とは
課金クラスター分析やUI/UXフロー分析は強力な手法ですが、これらだけで顧客を理解することは困難です。あくまでこれらは顧客理解のきっかけを掴むための方法に過ぎないと、森下氏は語ります。
マーケターに真に必要な素養を突き詰めると、「知的好奇心」と「執着力」、そして「顧客と向き合う姿勢」の3つが挙げられます。データ分析やリモートワークが中心となる現代において、顧客と直接向き合う機会は意識的に作らなければ減少してしまいます。マーケターである以上、顧客との接点を常に意識することが重要です。
森下氏自身も、日本に帰国する際には秋葉原でフィールドワークを行い、「こういう人たちがいるのか」という発見や、「去年の同イベントではこのコスプレが流行していたが今年はこれ、それはなぜか、今クールのアニメ放映の影響か」といった変化を、時間軸や大きさといった分析フレームワークを使いながら考察し、顧客解像度を高める努力を続けているそうです。そして、こうした姿勢は、日頃からの「なぜ、そのような購買行動を取るのか、知りたい」という知的好奇心があれば十分に実践可能なものだと言います。
マーケターに求められるもう1つのKPI設計
マーケターが実務で直面する最大の難題の一つが「投資回収のKPI設計」です。プロダクト側から「広告費はいつ回収できるのか?」「その回収期間は妥当なのか?」「広告費を使いすぎではないか?」といった厳しい質問を受けることは日常茶飯事でしょう。
この課題に対応するためには、何をもって広告配信・投資が成功なのかを明確に設計する必要があります。投資回収の土台となる考え方は3つの要素で構成されます。
第一に「期限の明確化」、つまりいつまでに回収するかの設定。第二に「広告投資額の明確化」、いつまでに何円使えるかの上限設定。そして第三に、これら制約条件の下で「どの程度の投資対効果で広告費を使い、どれだけの投資回収を達成するか」という広告費回収におけるシュミレーションの精度です。
理想論を言えば、「回収期間はなるべく短く」「投資額はなるべく多く」「予測精度が一致する」という状態ですが、現実的には難しく、これらのバランスを取りながら最適解を見つけることがマーケターの腕の見せ所となります。
投資回収の土台となる考え方(HARS GLOBAL Pte. Ltd.)
インストール数と回収期間のバランスをとる
マーケターが日常的に向き合う「n日LTVが必ずCPAを超えなければいけない」という制約において、このn(回収期間)を決定することがマーケターの重要な仕事です。30日で回収したければn=30、90日ならn=90となり、期間が長いほどLTVは高くなります。
例えば、とあるトラベルアプリで5日LTVが200円の場合、30日LTVは600円、90日LTVは1500円となります。ここで注目すべきは、期間が6倍(5日→30日)なら、LTVも本来は6倍にされるところですが、実際にはそうはならない点です。
これは、初期インストールユーザーの課金モチベーションが高く、時間経過とともにLTVが頭打ちになるためであり、どんなプロダクトにも一般的な共通して言えるでしょう。
インストール数と回収期間のバランスをとる(HARS GLOBAL Pte. Ltd.)
これを理解した上で、インストール数と回収期間の最適なバランスを見つけることがマーケターの役割です。
nを増やせばWeb広告の許容CPAを高く設定できますが、投資回収期間が後ろ倒しになるため、キャッシュフロー、、資金調達といった経営課題にも影響します。そのため、マーケター単独での意思決定は困難で、プロダクト側やビジネス側を巻き込んだ組織横断的な判断が必要になるのです。
実務において自社プロダクトのn日LTVを予測してみる(HARS GLOBAL Pte. Ltd.)
マーケターの役割は、縦割りを横断することが必須
アプリのKPI設計において重要なのは、「分ける」「大きさを考える」「比較する」「時間軸で考える」といったフレームワークの活用です。そして、課金クラスター分析やUI/UXフロー分析などの具体的な手法を駆使し、顧客理解を通じて売上・利益の最大化を実現するためには、マーケターは縦割り組織を横断する必要が必ずあります。
しかし現実は厳しく、多くの企業で「プロダクトリリースがうまくいったらプロダクトチームのおかげ、うまくいかなかったらマーケティングチームの責任」という責任転嫁の構造が少なからず存在します。これはゲーム・非ゲームを問わず、森下氏がコンサルティングで接してきた多くの企業で見られる現象だと言います。
このような責任分担が現実にあるとすると、「報われない可能性の高いマーケターが、なぜ自身の領域外まで巻き込んで仕事をする必要があるのか?」という疑問を抱くのは当然のことです。しかし、それでも組織横断的な取り組みを続けることで、マーケターは真の価値創出と市場価値の向上を実現できると考えます。
データの信憑性への執着がKPI設計の精度を分ける
こうしてn日LTV予測を行う際、Sensor Towerなどを参考に立てた数字は、どうしても、ぼやけた数字になってしまうことが課題となります。なぜならば、Sensor Towerの数値は参考にはなるものの、あくまで推計値であって、時には参考指標として大きく乖離する局面があることはマーケターであれば周知の事実だと思います。上層部から「その数値の信憑性は?」と指摘されるのは当然のことです。ここで重要になるのが、ファクトを徹底的に収集する執着力なのだと森下氏は強調しました。
執着心がなければ、個々の数字の信憑性が失われ、全体KPIが机上の空論と化してしまいます。机上の空論を積み重ねた売上シミュレーションやKPI設計は、そもそも意味を持たなくなってしまうのです。だからこそ、一つ一つのKPIデータ取得に対する執着こそが、実用性のあるKPI設計を実現する鍵となるのです。
アプリマーケターが集うコミュニティ“MOBILE STARS”
今回のMOBILE STARS Summer 2025には、総勢80名以上のアプリマーケターが参加。森下氏による第1部のKPI再設計セッションに続き、第2部では旅行予約アプリ『NEWT』を提供する株式会社令和トラベルの安藤希倫氏と英語学習サービスを展開する株式会社アルクの畔上剛氏による「アプリを活用した顧客との関係性を育てる顧客体験のつくり方」が語られ、参加者は2つの異なる視点からアプリマーケティングの本質を学ぶ貴重な機会となりました。(第2部セッションレポート)
MOBILE STARSでは、今後もマーケターの皆さまにとって学びとつながりのある場を継続的に提供してまいります。次回の開催につきましては、12月12日(金)を予定しています。
最後に、本イベントは、運営にAdjust、Braze、Moloco、クリエィティブパートナーとしてFIELD MANAGEMENT EXPAND(FMX)、ネットワーキングスポンサーとしてTikTok for Business、メディアスポンサーのアプリブの提供で開催されました。アプリ業界の発展を願う有志の方々をはじめ、多くの皆さまのご支援とご尽力によって実現しております。この場を借りて、心より御礼申し上げます。
前回の模様はこちら
アプリマーケター向けコミュニティ MOBILE STARS Spring 2025 イベントレポート
https://www.braze.com/ja/resources/articles/report-mobile-stars-spring-2025
HARS Global Pte. Ltd. CEO 森下 明
1988年三重県生まれ。東京理科大学理工学部を卒業後、株式会社マクロミルに入社。その後、広告代理店やソーシャルゲーム開発会社でアプリマーケティング業務に従事。2018年に株式会社ブシロードに入社し、アプリマーケティング部門の立ち上げに携わる。
広報宣伝部副部長を経て、2021年9月よりシンガポールに拠点を移し、Bushiroad International Pte. Ltd.のHead of Mobileとして活躍。CEDECやアドテック東京、Abema Primeなどで多数登壇。Bond University MBA修了。
2021年12月にはインプレス出版から「いちばんやさしいアプリマーケティングの教本」を発刊。Amazonの専門カテゴリで1位を獲得。2024年5月にはHARS Global Pte. Ltd.をシンガポールにて設立し、アプリマーケティングのコンサルティングおよびエージェンシー業務を展開。マーケティング関連の記事執筆にも取り組んでいる。
企業サイト:https://harsglobal.com/